Les rencontres de Mayuko!(まゆこがいく!)
河瀨直美
現在もご自身のルーツである奈良を拠点に映画をつくり続ける河瀨直美 監督。毎回いろんな立場の人の営みを、ありのままに描き出していく作品世界に惹きつけられます。
そんな監督の最新作は、世界三大映画祭すべての女優賞を獲得したジュリエット・ビノシュとの出会いから生まれたという『Vision』。ますますフランスとのご縁を深められていく河瀨監督に、お話をうかがうことができました!
まずは河瀨監督とフランスとのつながりをおききしたいのですが、1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞されてから、のはじまりですか?
そうですね。わたしは奈良で生まれ育って、それまでカンヌがどういうものかもほとんど知りませんでした。そもそも「どんな映画を撮りたいか」というよりも、「映画というものを通して人生を本当に楽しめるようになった」「つくることが人生を豊かにする」と思って映画をつくってきました。なので、「ハリウッドのどんな俳優が好き」とか、「映画はどういうものが好み」だとか、そういうのもほとんどなく、地元の山深い村で一生懸命に映画をつくっていたんですね。すると、どうやらフランスのカンヌ、というとことろから招待が来たようだ、と。行ってみると、すごく華やかで大きな映画祭で、そこで賞を受賞することになって、そこからあれよあれよという間にフランス、特にカンヌというところに呼んでいただけるようになっていった、ということだったんです。
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では、フランスを意識したの自体が映画から、ということですね。
はい、日本の中でも奈良というところには、観光客の方がいっぱいいらっしゃいますが、私たちの世代は、外国人をみるとアメリカ人だと思っているようなところがあって、フランスという国はあまり自分の意識の中になかったですね。
それが、世界でも、特にフランスで評価されるということについて、ご自身ではどう受け止めていらっしゃいますか?
フランスの方々は国境を越えて、それぞれの他国の文化を含めた「文化」というものをすごく大切にする人たちですよね。私自身も4年ほど前にフランスから「シュヴァリエ(芸術文化勲章)」を受章させていただきましたが、日本が、国外の方にも「文化勲章」を贈るかというと、それは滅多にないことですよね。そういう意味で、すごく文化の多様性を推奨されている国なんだなと感じています。
監督は本当に奈良を大切にされていて、そういう自分のルーツを大切にするところもフランスと通じるのかもしれませんね。
フランスの方とは、今では英語でコミュニケーションすることも多いですが、97年に初めて行った当時は、フランス語しか喋ってくれない人がほとんどで、自分の国の言葉や文化をすごく大切に、誇りに思っていらっしゃる方が多いな、という印象でした。それは私の暮らす町、奈良のもっている特徴とわりと似ていて、頑固なんですよね。自分の主張を変えない、だからこそ継承されるものがある、と感じました。
映画を通じてフランスとのつながりが深まって、逆に、ご自身の作品がフランス映画に近い、と感じるようなこともありますか?
10年ほど前から、フランス人の技術者と一緒に映画をつくるようになりました。音の整音など、仕上げの編集にあたる「ポスプロ」という部分で共同作業をするんですが、モノの作り方やこだわり方、そういうものが私にとってとても心地いいんです。
実際にはフランス語と日本語でお互い違う言語を使っていますが、映像という言語を通して共通のものをみているな、という瞬間は、むしろ日本人同士の時よりももてる気がしています。やっぱりどこか感覚が近いところがあるのかもしれません。フランス映画から影響を受けるというよりは、フランス人のスタッフたちと共感することが多い、というのはありますね。

河瀨監督は外国との合同プロジェクトや共同制作の作品も多いですが、日本人チームだけでつくる場合と、合同チームの場合とでは、どんな違いがありますか?
日本のチームで行っている撮影というのは、私たちが現場に向き合って、たとえば脚本という航海図があればそれにしたがってつくっていきますが、編集の段階になると、ある種、客観的な眼差しが必要になってきます。つまり、インターナショナルな目というのかな、人間として共通する意識や、物事を客観的にみる眼差しが大切です。編集まで同じ日本人クルーだけでやってしまうと、やっぱり日本はどうしても島国で、同じ価値観で進んでしまうところがあるんですね。
フランスの方が入ってきたことによって、最初は、これまで日本の人たちとやっていた、どちらかというと常識的な考え方を壊されてすごく苦しい思いをしたんですが、それを乗り越えた先には、「すごい世界が開けた」という体験がありました。
わかってもらえるよう努力をする、というよりも、お互いの意見を闘わせてせて、もっと次のものを生み出すと。
はい、さまざまな意見が出てくるんですけど、日本人同士だとあり得ないような発見というか、アイデアが生まれてきて、それをわたしが受けて、もう1回自分の中で咀嚼します。自分は現場を体験しているので、ある種の常識の中にいますが、外から新たな観点を持ち込んでもらうことで、それを吟味する時間をもてるんです。
そうすると作品の仕上がりにもじゅうぶん影響しますね。
『殯の森』(2007)でカンヌのグランプリを受賞できたのは、編集にフランスの方たちの目が入ったことで、作品に新たな広がりがもたらされたからではないかな、と思っています。
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最新作『Vision』(2018)についてうかがいます。「昨年(2017年)5月のカンヌでジュリエット・ビノシュに出会ったところからはじまった」ということですが、それまでそのお話自体がなかったんですか?
まったくなくてですね、昨年、前作の『光』という作品がコンペティション部門に選出されて、カンヌに招かれていました。しかも70周年記念というカンヌの節目の年だったので、たくさんのゲストもいらっしゃる中で、なぜかジュリエット・ビノシュ さんと遭遇しました。ジュリエットとの間を取りもってくれたマリアン・スロットというプロデューサーとテーブルが一緒になって、その瞬間からはじまって、帰国後10日で「一緒にやろう」という合意があったという、ものすごいスピード。それはもう、女性ならではの直感だったのかなと思います。
どんな感じだったんですか?
以前からジュリエットは、フランスで公開されているわたしの作品を観てくれていて、静かなんだけれど、深い部分に訴えかけるような作品世界がとても好きだと思ってくれていたそうです。日本の文化というのはトゥーマッチに話しすぎない、むしろ静かに控えながら深い部分のことを皆さん考えてきた、という営みがあると思うんですけれど、そんなところに自分も入ってみたいという憧れがあったそうなんです。
これまでもプロモーションでも何回も東京に来られていますが、ジュリエットから「日本の奥深い山の中を一度訪れてみたかった」と聞いて、それならば「私の暮らす奈良の山奥はぴったりだ」「これは運命かもしれないね」とどんどん話が進み、その3ヶ月後には共に現場にいた、という感じですね。

では、彼女に出会ったことで、河瀨監督の中でもこのストーリーが生まれてきた、ということですか?
そうです。わたしは奈良で生まれて育って、『萌の朱雀』(1997)の時から、山間の気候風土は身に沁みてわかっています。そのことと、フランス人女優のジュリエット・ビノシュさんとは普通に考えればマッチングしないんですが、彼女がそういった感覚を得てくれているというのを知った瞬間に、まっすぐにそれがつながっていきました。
ビノシュさんは、憧れが叶って、奈良の山奥の現場に踏み入れた時、どんな様子でしたか?
関西空港からそのまま吉野に向かい、トンネルを抜けて緑の山あいの風景が見えてきた瞬間から、「ビューティフル」と繰り返していました。撮影現場での暮らしは、目の前が吉野川、という環境にあるお寺の宿坊です。そこで日本古来の宗教観も得ながら撮影を進めてくれていました。食べ物も「絶対にパンを食べない」と玄米を食べてずっと過ごしてくれて、本当に中身から変わろうとする役づくりを積んでくれていたんです。

現場でストーリーが変わっていくこともありましたか?
わたしの作品の場合、着地点は同じでも多少のエピソードは変化していくんですね。彼女はそういった即興的なものにも意欲的に取り組んでくれました。自分のキャラクターをしっかりつくり上げているからこそ、本当に自由に泳ぐように楽しんでくれていたと思います。
監督の中では役者が日本人であろうと、外国の方であろうと、いろいろなバックグラウンドが違ってもまったく問題ないのですね。
そうですね。この方たちは俳優としてそこに立ってくださっていて、「河瀨組」というやり方を受け止めながら、ある種の覚悟をして来てくれています。なので、その方が外国の方であろうと日本人であろうと、さほど変わりがない。ただやっぱり言語の問題はあるので、私が話していることをちゃんとジュリエットに通訳しなければなかなか伝わらないし、彼女の言っていることをわたしがちゃんとキャッチする必要はあります。その点でもプロデューサーがずっと横にいて、プロデューサーとうちの通訳者との間で語り合いながら、ジュリエットがいかに次の日を迎えられるかということに注力してやっていました。
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最後に、河瀨監督のフランス観についてうかがいたいのですが、フランスをどういう国だと捉えていらっしゃいますか?
最初は日本に入ってきていた情報で、お洒落な人たちがたくさんいて、お洒落なお洋服のお店があって、フランス料理といえば高級なもので、というイメージが一番先に立っていました。 でも、こうしてフランスのみなさんと関わるようになって、フランスでも制作作業をしていくうちに、たとえば街中にはちゃんと八百屋さんが残っていて、農業大国であることを感じたり、外食文化があっても、みなさんご自身で料理をするこだわりはちゃんともっていて、着るものなんかもそんなにたくさんはもっておらず、でもちゃんと自分なりの好きなものを手に入れているという、いい意味でこだわりがあって、本当にいい意味で自分というものをもっている人たちだな、と感じています。
これからの展開として、もちろん世界で活躍されていくと思いますが、やはりフランスを意識する部分はありますか?
やっぱり映画の業界からみると、ハリウッドに対してフランスは、カンヌをはじめ、映画文化、その哲学というものをもっていらっしゃる。映画の作り手だけじゃなく、たとえばキュレーターや、プログラマーという人たちもたくさんいます。セールスカンパニーや製作会社というのもすごく力をもっている。そういう意味では、そういう方たちとともに映画をつくることで、世界中にその映画が波及されていくことには変わりないと思うので、これからもパートナーシップをとってやっていけたらいいなと思っています。
Naomi Kawase(映画監督)
奈良で暮らし映画を創り続けている一児の母。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)卒業後の95年、自らを題材にした自主映画『につつまれて』『かたつもり』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ国内外で注目を集める。97年、劇場映画デビュー作『萌の朱雀』でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少受賞、2007年には『殯の森』でグランプリ受賞。13年カンヌ映画祭コンペティション部門の審査委員に就任。15年にはフランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」を叙勲。17年『光』でカンヌ映画祭エキュメニカル審査員賞を受賞。映画監督のほか、CM演出、エッセイ執筆などジャンルにこだわらず表現活動を続け、故郷の奈良において、今年(18年)9月20日より開催の第5回目の「なら国際映画祭」をオーガナイズしながら次世代の育成にも力を入れている。また、パリ・ポンピドゥセンターにて、11月23日より大々的な河瀨直美展が開催される。
公式サイト www.kawasenaomi.com / 公式Instagram @naomi.kawase

