Les rencontres de Mayuko!(まゆこがいく!)

村上香住子

2018-07-19 · 第559回のエピソードを聴く

フランス文学の翻訳、そしてマガジンハウスや『フィガロジャポン』など、トレンド情報誌のパリ支局長として20年間にわたってパリの最新情報を日本に発信し、フランスと日本の文化の橋渡しをされてきた村上香住子さん。私もフランス文化について、たくさんのことを村上さんから学んできた一人で、セレブリティや文化人たちとの華やかでユニークな交友関係の一方、繊細な感性とそれを豊かに表現されるスタイルに憧れてきました。
今回、念願かなってパリから帰ったばかりの村上さんにお話をうかがうチャンスに恵まれました!

まず最初に、村上さんのフランスにまつわるさまざまなキャリア(通訳者、翻訳者、トレンド雑誌のパリ支局長、ファッションジャーナリスト、小説家、エッセイスト)のなかで、ご自身ではどの肩書きが一番しっくりくるのでしょうか?

私はジプシーのように、何か楽しい仕事があるとすぐそっちに行ってしまうほうで、いろんなことをしてきました。もともとは言葉が好きで翻訳をはじめているので、今でも翻訳者と言われるのが自分のなかでは一番ぴったりきます。

少女の頃からフランス文学がお好きだったということで、こうしてずっとフランスに関わっていこうと決めたきっかけや時期というのはありましたか?

そんなものはまったくありません。母は歌人で、ずっと歌をつくっていたので、むしろ私は日本的な影響をたくさん受けていると思います。別にフランスだけ、と決めたわけではなくて、たまたまフランスからきた人と10代の頃に結婚してパリに行くことになり、それからですね。

パリ、ベトナムのサイゴンでの生活を経て東京に帰国して、もともと書くことが好きでしたので、30歳の時にフランスの作家の作品を翻訳してみたいとはじめたんです。10年くらいやって十数冊、だいぶ翻訳の本を出しています。

その頃、翻訳者としてマガジンハウスの雑誌『クロワッサン』に、フランスにまつわるエッセイを書いていたんですね。ある時そこで、パリ支局長が辞めることになって後任を探されていたところ、たまたま目の前にフランス語をやる私がいたので、編集長から「ちょっとパリにいかない?」と言われたんです。

1年くらいというので、大喜びでパリに行きました。荷物もちょっとしか持たず、もう遊びに行く気分で。そうしたら今度は誰も「帰ってこい」と言わなくなって1年が過ぎ、2年が過ぎ…あんまり忙しくて誰も何も言わないんですね。私も最初は「ちょっとあの…」と帰国のタイミングを切り出そうとしていましたが、「まさか帰ってくるなんて、とんでもないことだ」という雰囲気で。そうこうするうちにどっぷり雑誌に入っていった、という感じです。翻訳は自分から希望しましたが、雑誌に対してはそういう大義もなく、気づいたらすっかり入り込んでしまって...

大きな決心で「文学の世界からトレンド情報の世界へと転向」ということではなく、楽しそうだなと。

そうそう、楽しいところが好きなんですね。それにお役に立てると言われるとけっこう弱いんです、世話好きというか。「じゃあ私でお役に立てるならば」とパリに行ったものの、本当に荷物もないし、毎週蚤の市に通って少しずつ揃えていきました。

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よく聞く話で、「パリは好きだけれど、フランスの地方にはそんなに興味がない」とか、逆に「文化としてフランスが好きだけれど、パリは別に」とおっしゃる方もいますが、村上さんはパリとフランスを区別してとらえていらっしゃいますか?

私は田舎の生活をあまり知らないんですね。日本でもそうです。だからプロヴァンスだとか、フランスの田舎もいいなとは思うんですが、馴染み深いのはパリですね。映画館もたくさんあるし、自由にいろんなことができるので、自分に一番しっくりくるのはやっぱりパリだと思います。

どうしてもパリに惹かれてしまうポイントというのは、人とか文化とか街だとか、いろいろな要素があるなかで、村上さんの場合は何でしょう。

人が面白いんですね、生き方が。最近は日本でも自由に生きる人がいますけど、パリではある日突然とんでもないことをやっていたりとか、caféのテラスに座って人を眺めているだけで、ちょっと訳ありの人がいっぱい通ってくるのが面白いんですよ。もともと小説が好きだから、caféで「この人はこういうことがあって、こんなに打ちひしがれているのかも知れない」とか、いろいろ想像するのがものすごく好きなんです。

日本のカフェを思い浮かべても、そんなにいろんな感情だとか、そうそう大変な状況の人がいるように思えない気がしますが、それはパリの人が感情を表に出しやすいのか、それとも人生自体がドラマチックなんでしょうか。

フランス映画を見過ぎたせいなのかもしれないけどね。今でも私はパリに着くとすぐ好きなcaféに行ってぼんやり過ごします。

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20年も住むと、パリの良いとことも悪いところも知り尽くしていらっしゃると思います。逆にこれだけは受け入れられないという部分はありますか?

日常生活では東京が天国だと思いますね。電気系統のトラブルでちょっと見に来てもらわなければならないという時に、パリでは「今でた」と言いながら3日くらいしてやっと来るとか、そういうのが日常茶飯事なので。そこにイライラしていたらパリには住めないので、もともとゆるい人間だったのがパリにいると一段と慣れて来ちゃうんですね。

腹が立たなくなってくるんですか?

いや、困りますけどね、まあしょうがないか、みたいな。

だからパリで仕事をしていると、朝2人にアポイントをとって、午後2人に会うとそれでぐったり疲れるような感じだけれど、東京に帰って来て同じ編集者の手帳を見ると、もう朝から5つも6つもアポが入っていて、午後はもっとすごい、みたいな真っ黒けの手帳を見てびっくりしました。やはりパリはちょっと田舎町のようなんですね。スピード感が東京みたい速さではないですからね。

でもメディアの最先端のお仕事をされていて、仕事量が日本よりパリの方が少ないということもないんじゃないでしょうか、どうでしょう?

そうですねぇ。次々と仕事はあるんですが、途中でcaféに行っちゃったりとか、いろいろ息抜きもありますしね。それにカメラマンなんかとも、とても密なお付き合いをしますね。東京にいる時は打ち合わせをして、それでいきなり仕事をする、みたいな感覚だけど、パリでは仕事が終わったら一緒にどこかに行くし、本当にお友だちみたいな密な関係ができるんですね。そういうところもやはりフランス全体が人間的というか、人との関係性を大事にしているのかな、と思います。

いつも私が不思議に思っているのが、フランス人はバカンスをたっぷりとれるけれども、だからといって特に経済状態に大きく影響しているわけでもなさそうだし、それなら日本人もバカンスをとっても大丈夫じゃないかと思うんですが、どうしてフランスではそんなに余裕をもてるんでしょうか。

vacancesはとらないといけないんです。義務づけられているんですね。でも共働きが多いですし、まったく同じ時期に夫婦でvacancesに行けるわけではなく、だいたい女性のほうが忙しくて後から追いかけて行くという場合が多いですね。だからべったり1カ月なり、1カ月半なり、どこかにずっと出かけているのではなく、出たり入ったりしていると思います。

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村上さんはバカンスはどんなふうに過ごされていたんですか?

私は東京の出版社と仕事をしていたので、あまり長くはとれなかったですね。だからちょっと隙ができれば出かけるとか、お友だちがいるプロヴァンスの家に行くとか、そういう程度でしたね。日本に帰省するのはいつもお正月だったので、夏休みはあまりとらずに、冬休みを長くとっていました。

年越しや新年を日本で迎えたい、ということですね。

そうですね、お正月はパリにいても何もないんです。みんな田舎に帰ってしまうし、一人で何もすることがないので、日本に帰って毎年京都に行っていました。お茶の先生の知り合いがいて、そこで「除夜釜」をやっていたんです。大晦日の24時から大徳寺の鐘がゴーンと108つ鳴るんですが、その一つき目のときに、お茶をシャカシャカシャカと点てはじめて、それが1年の最初というか、除夜だから最後というか…それを毎年やっていたんです。

東京に帰ってこられた今も通っていらっしゃいますか?

帰って来たら行かなくなってしまって…。あの頃はまとめて日本人をしたかったんだと思います。数日のうちに和風のものをまとめて味わおうとしていたんでしょうけど、こちらに帰って来たらなんだか普通に過ごしていますね。

ご著書のなかですごく面白いなと思ったのが、パリと日本の関係を「愛人と正妻の関係」と書かれていて、「どちらの間も行ったり来たり」とありました。それは今も同じですか?

やっぱりずっと会わないではいられなくて、向こうでみんな友だちに会って帰ってくると、つまり愛人の元から帰ってくると、けっこう元気溌剌というか、帰って来た頃にはもう「次はいつ行こうか」と考えています。ここ日本にはオブリゲーション(義務)で戻って来たけれど、やはり遊び心はずっとパリに向かっているような気がするんですね。

ではW杯やオリンピックで両国が対戦するとちょっと困りますか?

困りますよね、ちょっと。でもやはり一応は形的には正妻の方を…。

「お正月はちゃんと家で過ごす」とか、まさに正妻のイメージですね。

けじめだけはきちんとやってね。もうまったくどっちつかずで。

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村上さんは60年代にパリに住まわれて以来ずっと、なんらかの形でフランスに関わってこられて、今回も数日前にパリからお戻りになったばかりのところをインタビューさせていただいています。この間、フランス、パリの変わった部分と変わらない部分はどんなところですか?

フランスはもともとフランス人だけではなくモザイクの人種の国ですが、移民の方たちが非常に多くなってきていて、ますますそれが広がってきているところが変わった部分でしょうか。

変わらないのは人。相変わらず自分勝手というか、「赤信号は渡れ」と言いますし、人に指図されるのは嫌いだから絶対に反発する、という性格はまったく変わらないですね。

だからずっと惹かれ続けるんですね。

そうですね。これでもかと言っても絶対に逆のことを言うし、こちらが参りましたと言うしかない。

『EGOÏST』という雑誌(フランスの高級ヴィジュアル誌)があるんですが、それは本当にフランスの性格そのものというか、一人の人が雑誌をつくっていて、広告を入れるのもその人が好きなメゾンしか入れないんです。記事も自分で書くし、「次はいつ出るの?」と聞くと「気が向いた時」と答える。それがずっとけっこう売れているんですよ。私はその人が大好きで、いかにもフランスのシンボルみたいな人だと思っています。人の言うことを絶対に聞かない、というね。

そこが魅力的だと。

日本にあんまりいないから魅力的に見えるのかも知れませんね。日本にそういう人ばかりだったら、ちょっと嫌だなと思うかも知れないけれど。

最後に、村上さんのパリ観はどういったものでしょうか?

やはりパリは素晴らしく綺麗なまちと言えると思うんですね。そこに面白い人たちが住んでいる、というのが私にとってのパリの魅力のポイントですね。

パリを一言で表すとすると?

小憎らしいけど好きだわ、という感じでしょうか。

Kasumiko Murakami(翻訳者/作家)
20歳で渡仏後、ベトナム戦争下のサイゴンでの暮らしを経て帰国。1974年より、フランス語通訳やアンリ・トロワイヤ著『ドストエフスキー伝』『チェーホフ伝』、ヤン・アンドレア著『デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか。』などの翻訳を手がける。1985年、再びフランスに渡り、マガジンハウスや『フィガロジャポン』のパリ支局長として、20年にわたって最新パリ情報を取材・執筆。ルイ・マルやル・クレジオらと親交を結ぶ。2005年、帰国後、愛猫との暮らしを描いた『パリ猫銀次、東京へいく』、自らの半生を綴った『恋愛、万歳』、パリを知り尽くした著者ならではの『パリ・スタイル 大人のパリガイド』、南三陸の漁師から聞いた3.11をモチーフにした小説『そして、それから』(仏版:Et puis après)など著書多数。仮設住宅に住む女性たちを支援する「アマ・プロジェクト」を立ち上げ、ジェーン・バーキンなどフランスの友人たちの協力を得て活動中。
公式Twitter https://twitter.com/kasumiko_murakaroman

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この対話は Chocolat! 第559回でお届けしました。 エピソードを聴く →