Les rencontres de Mayuko!(まゆこがいく!)

こぐれひでこ

2018-03-05 · 第555回のエピソードを聴く

イラストレーターとして、エッセイストとして、ご活躍のこぐれひでこさん。カメラマンのご主人との日々のふたりごはんの様子、海の見えるご自宅にいろんなお友達が集まってきて、ワイワイ食べて飲んでお喋りする様子を、ブログやエッセイ、雑誌を通して垣間見てきました。この自然体なのにお洒落な暮らしぶりは、やはりパリの影響なんだろうか、と前々から聞いてみたかった私は、憧れのご自宅を訪ねました。

まずは1972年から3年間、最初にパリに行くことになったきっかけから教えてください。

大学を卒業して2年経った時でした。特にパリに憧れていた、とか、パリにどうしても行きたい、とかいう深い考えはなかったんです。カメラマンの主人がポスター制作を手伝っていた劇団が、「ヨーロッパ公演に行くことになった」というので、そのツアーに乗っかった形で片道切符を買ってしまった、ということなんですね。当時、海外に行くのも初めてなら、飛行機に乗ったこともなかったのに、行ったまま向こうで3年間過ごしたんですから、思い出深いですよね。

言葉はどうされたんですか?

突然決まったパリ行きの前に、誰の知り合いだったか、ベルギー大使館の秘書の方を紹介してもらって、急遽フランス語レッスンを受けました。といっても10回もなかったんじゃないかな、悪いことに主人も私も第2外国語はドイツ語で、お互いほとんどわからないまま行きました。まずは現地でアリアンス・フランセーズに入って、ロシア革命で亡命してきたというロシア人のおばさんの家に間借りする”avec famille”の部屋を学校から紹介してもらって通学するという、のんびりしたスタートでした。

なんとかなったのですね。

みなさん優しかったんですよ。よくパリの人は意地悪っていうけれど、中に入っちゃうとそうでもなくて、意外にお節介焼きの人もいますしね。買い物に行ったら、市場のおじさんが「スイカはこう」ってチョークで名前を書いて教えてくれたり。そのうちにお金も無くなって、知り合いが紹介してくれた日本企業の洋服のお直し係りとして働き始めました。

もともとファッションが好きだったんですね。ある時、蚤の市で見つけて自分でアレンジした服を来て歩いていたところ、洋服の会社の女社長に声をかけられたんです。デザイナーとしてスカウトされて、まさに「渡りに船」でフランスの会社で働けたのは良かったんですが、その彼女と作る服のことで毎日言い合いになってしまって。夢の中では流暢なフランス語でスラスラ文句を言えてるんですけどね。そのうち、その理屈っぽさが本当に嫌になってしまったんです。ちょうど主人は仕事でバルセロナに引っ越していたので、独り住まいというのもキツかったんですね。5年はパリに、と思っていたんですけど、我慢の効かない私は3年間で日本に帰ってきてしまいました。

それでもパリを嫌いになったわけではなく、その後も通われているんですね。

もちろんパリは大好きです。第2の故郷だと思っていますから。帰国後は、洋服の会社を10年間やっていたこともあって、仕事と言っていいかどうかはわかりませんが、パリやイタリアにはちょくちょく行っていました。今は仕事としてお料理の絵を書いたりしていますが、旅先で食べたものを描く、というのはその頃から始まった習慣なんです。パリでは友達の屋根裏部屋に住まわせてもらったりして、結構頻繁に行っていました。

そうして1989年、洋服の会社をたたんでイラストレーターになっていた頃、フランス革命200年祭の時期に合わせて、パリでアパートを借りて2ヶ月滞在したんです。何もすることもないから、近所の語学学校に行ってみたら、予習しないとついていけないし、宿題もあるしで大変で、1ヶ月で嫌になってやめちゃった。

ますます暇になってしまって、不動産屋ごっこを始めたんです。フランスの新聞に、掲載されている空き物件をアポイント無しに見に行けるっていうシステムがありますよね。それを荒らし始めてあちこち物件を見て回っているうちに熱中しちゃって、とうとう不動産屋さんのドアを開けてしまいました。プロに案内してもらいながら、「空気が悪い」とか「匂いが嫌い」とかいろんな文句を言ってね。そうしたらそのうちに向こうから「私はあなたが欲しいものがわかった。多分好きだから見てみないか」と言ってきたんです。それで行ったら本当に好きだった。もちろん私一人では買えませんが、忙しいはずの主人がたまたま日本から遊びにきていたので、改めて一緒に見にいくと「うん」と。思いがけずアパートを買うことになっちゃったわけです。すごいデタラメでしょう。レ・アールのサマリテーヌ百貨店近くにある、窓からサン・トゥスタッシュ教会が見える物件で、なんだか良いところだなぁって気に入っちゃったわけ。全部デタラメなんです。

ご縁とはそういうものかもしれませんね。パリでの生活がいまの暮らしに影響している部分はありますか?

パリの影響? 何でしょう。お鍋もこのテーブルも、ものは大体フランスから来ていますけど…この生活にパリの影響なんてあるかしら? 

あまり自然に身についていると、意識しないものでしょうか。私からすると、このオーシャンビューの素敵なお宅にいつもお友達が集まって来て、こぐれさんのお料理を食べたり、飲んだり、おしゃべりしたり、という様子がまるで外国のようでかっこいいなぁと思いながら憧れていました。

確かに。そう言われると日本の家庭では、特に親世代は人を家に呼んでご飯を食べる、というのはなかなかないことかもしれませんね。法事でもないとね。パリあたりでは普通の家庭でもお手伝いさんがいたりして、一緒にお料理の準備ができて、もっと気軽なんでしょうね。

パリでも「招いたり、招かれたり」されていたんですか?

そうですね。最初の”avec famille”の住み込みの時なんかは、光熱費も込みの家賃契約だったんです。私がしょっちゅう人を呼んでご飯をいっぱい作るものだから、家主のロシア人マダムから「あなたはガスを使いすぎる」って言われて追い出されるように引っ越したこともありました。まぁ日本でも大学の頃から餃子パーティーなんかしていましたけど。

するともともとパリと肌が合うのかもしれませんね。

ええ、肌には合ってたんでしょうね。パリの人は適当にいい加減でしょう。そこがいいのよね。実は彼ら、中身はいい加減じゃないですけど。まあ居心地が良かったんでしょうね。

 

こぐれさんのパリ観とはどんなものでしょうか。

洒脱な感じはします。人もものも建物も。それは真似したいところですね。保守的でありながら、そのクラシックな芯みたいなものから、スルッと外れて違うものを作ってしまう。とても気楽に新しいものを生み出している気がするんですね。例えば、パリのメトロは数年前から運転手のいない自動運転です。日本ではまだ考えられないでしょう。難しそうなことでも考え方を変えちゃうと、ツルッと簡単にできてしまう。その覚悟の良さというか、頭もいいと思います。

柔軟なんですね。

そんなところに惹かれますよね。私サーカスもとっても好きだったの。冬になるといろんなサーカスがトラックでパリに向かってやってきて、広場にテントを張るわけです。特に、”Le Cirque Tzigane”(ジプシーのサーカス)という小さなサーカスが気に入って毎年見に行ってたんです。4つくらいの家族でやっている小さな小さなサーカスで、最初に見た時はこんなに小さかった子が、3年後にはもう立派に何か演じてるの。生演奏で、時々はずれた音が出たりなんかして。その雰囲気がすっごく好きだった。向こうのサーカスにはペーソスがあるんですね。ああいうパーフェクトじゃないけれど魅力的なものがある、それが私がパリに惹かれるところでしょうか。

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Kogure Hideko(イラストレーター/エッセイスト)
1947年埼玉県生まれ。大学卒業後3年間パリに住む。帰国後も度々パリを訪れながら、服飾デザイナーとして活動。その後イラストレーターに転身し、1989年、レ・アールのアパートメントを購入。90年代、「そこらのフランス人より詳しかったはず」と自身の足で街を歩き回った情報をもとに、『パリへ行こう』(流行通信社)『パリを食べよう』(東京書籍/光文社)『パリを歩こう』(東京書籍/光文社)など、イラスト入りの独自のパリ案内本を立て続けに刊行。現在は、食や暮らしにまつわるイラストやエッセイをウェブサイトや雑誌、新聞などを中心に執筆。毎日の食を写真入りで紹介して19年目になる長寿連載『こぐれひでこの「ごはん日記」』や、日常を綴ったエッセイ『くらしのたね』が人気。

この対話は Chocolat! 第555回でお届けしました。 エピソードを聴く →